「非公式」非公式スキップ通信・・・・・・非公式「帰省」の巻
皆さん今日は。世間はお盆休みですが、スキップは1日しか休みません。凄い情熱です。
そのようなスタッフさんに支えられ、我々メンバーが、少なくとも私があると感じます。
その様な中、私は帰省致しました。自宅から実家まで西武線からJRに乗り継いで、片道約3時間の列車旅です。遠出恐怖症の私ですが帰省だけは出来るのです。
また私は実家に着替えを用意してあるので、A4サイズのバック一つという身軽旅です。
列車が利根川を越えると「帰ってきた」という実感が湧いてきます。と同時に、今回は街の何処が変わっているのだろうかという気持ちも強まってきます。
埼玉暮らしが十数年を超えた私には、故郷は帰る度に「別の街」に感じられるのです。駅に降り立ち辺りを見渡すと、とりあえずは変化が無い様で一安心です。
ですが、いざ実家に着いてみると、はす向かいの家と隣の家の後ろの家が更地になっていました。さらには国道付近に大型ショッピングモールが出来たと聞いて、ますます「異郷」を感じる私なのでした。
しかし家族は相変わらず元気でした。両親に私の元気な姿を見せる事が出来た事は、この様な状態において、私のささやかな親孝行ではなかったかと思います。
私の弟は実家の庭の隅に家を建て二世帯住宅の様な形態で住んでおり、子供をなしており跡継ぎを作るという孝行ぶりなのです。
後はお互いの近状報告です。母が私のリクエストに応えて用意してくれたビールを飲みながら談笑です。母は編み物を片手に話を聞いてくれました。
母は私がB型就労を始めた事を大層喜んでくれました。賃金よりも多少なりとも働く事が出来る様になった事を喜んでくれました。その事は私の就労意欲を高めてくれました。そしてあとは孫、私にとっての甥の話です。甥達ももう小学校高学年と低学年です。昔の様にかまって欲しくはない様ですが、お小遣いをあげた時は満面の笑みで二人とも両手で受け取ったのでした。
甥達も段々と大人びてきました。その夜の食事会は弟の家族と中華料理のフルコースを食べたのですが、甥達は餃子のタレを作る際、「先ず酢先で次醤油、こうすると醤油の分量が解り易いよ」と一人前に薀蓄を述べるのでした。そして甥達は翌日から四時起きでサッカー合宿へと出掛けるのでした。親になるのはつくづく大変だなと感じました。
帰省も二日目になると親も小言が出てきます。やれ野菜不足だの、朝は雨戸を開け日の光を浴びろだのです。
こうなってくるとそろそろ潮時です。物足りない位で引き上げる事が来年も帰省しようという気になる秘訣なのです。
親と子は心理的にも物理的にも、適度に距離を保っている事が親子仲を良好にするポイントなのだと思いつつ私は帰路につくのでした。
2014年8月16日
ホヤスキー